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転校生(4) [アーカイブ]

仙台で住んだ場所は放送局の鉄塔の近くとでもいえばいいのか
動物園の近く、遊園地のあるとこの近くでもあります。

そこには、例によって警察の待機宿舎がありました。
とはいっても、仙台は東北の中心でしたから
あとになって聞いた話ですが、父の動く範囲もやたらと広かったようです。

そんなことには一切気づかず
詰襟に昔ながらの古風な格好に身を包み
そんな写真が残っています。

校則が厳格な学校で、校歌を流す時に校旗を上げ下げするのですが、
その歌が聞こえているうちは、どこにいても不動の姿勢で学校の方を
向いていること!

これを下校時にやられると、すごいんですよ。
グラウンドを歩いている生徒、階段に手をかけた生徒
あるいは先生も、ビタっ!と止まって、旗を見上げている。
街を歩いていて、校歌が聞こえた瞬間、立ち止まる学生は
その学校の生徒でしたw

とにかく時間の止まった世界という感じ?

いまではたぶんやっていないと思いますが

当時の先生達のいで立ちに、内心ひぇぇぇと。(汗;
特に男の先生なのですが、お手製の「武器」
わざと、ひけらかして登校しているのには参りました。

ある先生は大きな「しゃもじ」ある先生は「サスマタ」の先が
うんと小さい棒、ある先生は剣道六段で校門で登校してくる
生徒に睨みを利かしているw

僕は武器の洗礼はあまり受けたことはなくて・・・うそうそ
しょっちゅうやられましたとさ、とほほ・・・特にしゃもじの痛さは格別です(涙

不良学生だったので、しょっちゅう遅刻するは、その都度
剣道六段の先生に「こらあ!」って一喝されて
罰は、廊下で20分間正座していなさいって
寒い冬の冷たくて固い廊下は辛かった。

まあ、楽しかったですよ。
例によって友達もたくさんできたし、
憧れてしまう女性もコロコロ変わりました。

ただ、バドミントンをやっていたRさんだけは
なかなか、声をかける勇気が持てなくて・・・

彼女は学級委員長だったのです。
自分にとっては、とてもじゃないけど、釣り合わない。
と、諦めていました。

でも、ある日ほんとうに偶然でした。

あるコンサートを学校から進められて
自分の席は会場の個人が特別に座れる特等席で、
自分の席の隣に座っている人を見てびっくり!

Rさんでした。
こんなことってあるのか?と半信半疑で誰かが仕組んだ?
わけないかぁ、自分が彼女が好きだと知っている人はいないし

で、躊躇なく「お邪魔します」と声をかけ自分の席に座りました。
あら、こんにちは、と笑いかけてくれました。

会場の光に照らされた彼女の横顔は、う、美しい・・・

コンサートが始まりました。
もうもう夢の様でした。音楽に感動しているんだか
彼女が横にずっといることに感動しているんだか
わけわからん。。。

で、同じ姿勢を取っていると、だんだんお尻の辺りが
痛くなってくる。
思わずちょっと立ち上がって、姿勢を直したときに
彼女のひじに、こつんと自分のひじがぶつかってしまったのです。

そしてそのまま、ひじ同士がくっついたままの状態に

そしたら、彼女がうっとりとした顔を近づけてきて
○○君、実は私は・・・
え?え?と聞き取れないし、ってそんなに顔を近づけて
大丈夫かこれ?

結局、彼女がなにを言いたかったのかは未だに謎です。

自分にもっと勇気があれば、自信があればと悔やみましたが
チャンスの時間は去ってしまったのでした。

学校の友人たちは、親が大学教授の息子である子とか
個人病院の先生の息子とか、かなり成績優秀な友達が
多かったです。

他の事はダメなんだけど数学だけはむちゃくちゃ強いとかね。

そんな彼を中心メンバーとして、n次元方程式を解くサークル
みたいなものにも参加しました。

そもそも、1年生の頃から、ブルーバックスを読むことに
ハマっていましたから。まあ、これもある友達の影響ということに
しましょう^^

相対性理論、とか不確定性原理とか、そういう系の本を
わかったような、わけわかんないような顔で読んでいました。

n次元方程式を解くサークル活動はそんな自分にはぴったりでした
結局3次元以上はわけわからなくなりましたがw

恋愛と勉強漬けの2年間は厳しい校則にしばられながらも
なんとなく、自分が輝いていた時間帯であったと今でも思います。

この学校に3年間いたとしたら、と考えると3年になる時の転校は
ある意味分岐点だった。と思うしかありません。

続く

転校生(3) [アーカイブ]

4年生の期間はあっという間に過ぎ去りました。

何年生だったか定かでは、ないけれど。

待機宿舎の近くに山があり、友達に誘われ山を登りながら
アケビを取ったり、山ブドウを楽しんだりしながら登った山頂には、
びっくりするような大きな観音様が立っていた。

という感じで、近所の公園で小鳥が木に住んでいて
そのヒナを無理やり取って来た悪ガキたちが
それを置いたまま逃げていったことに腹を立てて

ヒナを手に抱いたまま、待機宿舎のお母さんたちに
声をかけ、どうしたらいいかと相談したけど
いろいろ食べさせようとしたけれど、ヒナは頑として受け付けない・・・

結局、亡骸を橋の上から箱に入れて川に落としてあげる
そうするしかなかったのが、悲しい思い出。

小学校高学年は多感になってくる時期です。

女子の性教育が始まるのもその頃で、男子禁制は
あたりまえって、
それって、宮崎駿さんの「おもひでぽろぽろ」と同じですね^^

いい加減5年くらいになると、女子の背が急に伸びてきて
膨らむところが膨らんでくる。
いろんな下着の業者さんなんかが卸に来る。

ほんとに、アニメの世界そのものです。

5年になった時に、同じクラスに「転校生」が来たのです。
その子の顔を見ていたら、あれ?って、急に不思議に思って

なにか質問はありますか?と先生がいうものだから
はい!と手をあげて、2年生の時はどの学校で学級はどこで
担任の先生は誰でしたか?と聞いてしまいました!

みながシーンとして聞き入っていました。

彼女の答えは、僕がいた2年の時の斜め向かいに
座っていた子だったのです。

はあ、そんなことってあるんだー
初めて味わった偶然の一致でした。
彼女は、仮にMさんということにします。

その偶然が、変わっていく思春期の僕を
どう変えたのか?察してください。

6年生、卒業する時が迫っていました。

その頃は彼女とはあんまり話はしなかったけれど、
大・大・大好きな女の子になっていました。

僕は仙台の中学に行くことが決まっていました。
今度はまたこちらが転校生です。

列車が出る時間が迫っていた時
親しい友達から渡されたのは一冊の切手帳でした。
僕が切手を集めていることを彼女は知っていたんだ。

甘酸っぱい匂いというか思いを感じながら
担任の先生や仲の良かった友達に手を
振って仙台に旅だちました。

続く

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