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予備校時代 [アーカイブ]

僕は高校生の頃は、やりたいことはやりたい放題だったので、
順調にw学業の方のレベルはついていけないという感じでしたw

高3の春にかわいい彼女に恵まれ、卒業から予備校までのくだりは
前記事の【高校生(5)】に詳しく書いてあります。マジで実話っす!

予備校時代は仙台の「まかない」つきの下宿に住みました。
越路という所で愛宕橋(旧)の近くでした。

同じ予備校に、なんでなのか?
小学生の頃の友達、仙台の中学時代の友達、引っ越し先の中学の同級生が
一堂に集結してしまうという、変な同窓会みたいな状況でした。
類は友を呼ぶって、こういうことか?と思ったw

ともかく、予備校時代の僕は失恋の痛手から完全に脱していなくて
親元を離れたので、やりたい放題、お酒をがっつり飲んで寝ているかw

そうでない日はなんかいたたまれない気分になり
朝まで欝々と眠れないし・・・orz、という日もありました。

そうかと思うと勉強に打ち込んでなにもかも忘れてしまおう!だったりとか・・・(^^;

悩んだ末に、それが「青春」ってもの?という感じだったかもw

予備校の授業は高校の頃の悪友が同じ下宿にいたり
福島出身の愉快なヤツ、山形からの筋肉ムキムキな先輩や
毎日夜になると英語の発生練習をする向かいの会社員とか・・・
話し相手やいろんな雑音も楽しめて、なんだかんだいって、気楽でした。

予備校にも個性的な先生はいるもので笑えた話を思い出します。

『駅前の大学』にはあまり入り浸らなよーに、と最初は、ん?(・_・)?
と意味が解らなかったけれど、パチンコ屋という意味だったw

いーですか?勉学を成すには、『顔の色の問題』で紫色を通り越して
緑色になるまで、やり通さないと合格はありえない!などと・・・
そんな話、本気で信じるほうがおかしいでしょうw

賄いつきの下宿なんて初めてだったので、食べ慣れていない食材には多少閉口した。

特に憶えているのは『いわしのつみれ』が味噌汁に入っていた時
「ぎょぎょっー!」(さかなクン風に)となった、
これ、まともな食い物なんですか?って・・・今思い出すと笑ってしまいそうだ。

つみれ系はかなり、旨いのです。特に酒飲み人間にとってはw

人間、よそ様のお家の食事を経験することで、食べ物の新たなおいしさ
ありがたみが、わかるものだ!とその時は思いました。

山形出身のベジタリアンの人が、いちいちチャーハンの小さいひき肉を
取り除いて食べていたのを、悪友と、ぷっと噴き出しながら指さして
見ていたのを憶えていますw

その頃のことだと思うのだけれど、丁度、さとう宗幸さんの「青葉城恋唄」
流行った時だった気がします。

下宿の近くに広瀬川が流れていて、よく岸辺に行って別れた彼女と
一緒にいた河原を思い出してしまい、ほろ苦さを味わっていました。
なんというか、なかなか諦めがつかない、優柔不断さでしたねぇ。
ちょっと、情けない奴でしたw

でも、Jちゃんと、手を繋いで七夕を見ることができていたら・・・なんてと思うと
やはり切ない気分になるのは確かです。

彼女はきっと遠い北海道の地で、いいお母さんになっているんだよなあ
心より幸せに!と、綺麗な思い出をありがとう!と、言いたいです。

予備校の後半は順調に勉強に励みました。
翌年、N大、T大、そして横浜のK大と受けたところは全て合格し
一番入学金や授業料が安かった横浜の学校を選択しました。

5歳しか年が離れていない弟二人の受験が控えている
ことは十分にわかっていましたから・・・

家計が随分大変だったろうと、今、人の親になってひしひしと
当時の親の大変さやありがたみを理解できます。

そんな激動の一年間が、予備校生として過ごした時間帯でした。

それにしても、なんでアドセンス広告が表示されないのか?

バナナデスクさんのスカイプコンサル受けてみようかな
などと、考えています。。。

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