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高校生(5) [アーカイブ]

高3の春、僕は『恋』をした。

天文部の双子の姉妹部員の姉のほう
妹は天真爛漫なタイプだったが、姉のほうは、もちろん明るいのだけれど
時々、ふと見せる憂いを帯びた視線を不思議に思った。

クラブ員全員が写っている写真を見ていて、やはり僕はこの子が好きだと、確信した。

家の近くに仲の良かった後輩部員が住んでいた。
彼の部屋は、うらやましいことに、母屋とは別棟で、よく音楽を大音量で
聞くために、遊びに行っていた。

その後輩とある日話をしていた時、ふと、俺さあ、好きな子が出来たみたいだ。
と、告白した。

えー!?誰ですか?
ん?同じクラブのJちゃんだよ

って、マジっすか?彼も同じクラブ員だったw

うん、告白しようと思っている、と言った。

俺は有言実行なタイプだぞ、と思ってた。
なので、翌日彼女に電話して、友達からでいいので俺とつきあってくれませんか?
と言った。今思うと、単刀直入だなぁ(汗

最初のデートは、相当照れた。
だって、デートなんかやったことないし・・・

ただ、逆に彼女に助けられた、かも。
彼女のよく行っているという喫茶店を教わったからだ。
大人で美人のママさんと、3人きりでよく話した。

最初の電話からずっと、学校からの帰りは待ち合わせで
帰る方角が一緒だったので、二人で自転車で並走しながら
いろんな話をした。

彼女の家の方角に向かって大きな川が流れている。
よく、その河原に二人で降りて、そこで一緒に座った
今日あったこと、これからどうしたいのか?などを話しあった・・・
そうしながらも、僕の目には彼女の姿が、どうしても目に染みていた

光る川面から反射する彼女の瞳の澄んだ美しさ
ふわりと香ってくる長い髪の甘い匂いに、僕は酔っている気分だった。

不思議に思っていた、たまに見せる彼女の憂いは
中学の時のかなり上級になるまで、自分は「里子」に出されていた。
それまで、妹の存在さえ知らなかった、ということだった。

里子って、当時の自分にはピンと来なくて
ちょうど、母方の祖母が来ていた時に「里子」の意味を聞いた。

家が貧しかったんだろうねぇ、というのが祖母の意見だった。
貧しい家に双子が生まれ、困った親は姉の方を、叔父さんの家に
あずけてもらったんだ。。。

ばあちゃんと話していると、なんか臨場感が増してきて、彼女の寂しさ
とか、憂いの理由が解ってきて、思わず、ぽろんと涙がこぼれた。

Jちゃんは背が小さかった。きっと双子で生まれたせいなのだろう。
でも、その小さな体で、頑張っている姿が愛しくて仕方がなかった。

ある日の部室、ベランダで1年下の後輩と話した。
いーなー先輩は、Jさんと、あんなことや、こんなことしているんでしょう?
って!いやいや、してない。

なんでですか?してあげたほうがいいですよ。俺だったらしているなぁ
先輩が羨ましい。

そういうものなのか・・・?
自分はまだ学生だし、結婚なんてできないから、責任はとれないぞ
そういうところが、自分の素直な考えだった。

じゃあ、なぜ?女の子とつきあっている?
単純に言えば、いつも一緒にいたい人だから、だよな?
好きな人といつも一緒にいて、なにが悪いんだ

かなり理屈っぽい感じだったです。

3年の夏にいった星を見に行く合宿にJちゃんは来なかったけれど
出かけるという時に渡された、黄色いタオル
幸せの色だよなあ、と思って合宿中ずっと首にかけてたw

一緒に河原にいて、山の線に日没を一緒に見た時・・・
太陽沈んじゃったな。
うん。
という時に、急に愛しくなって肩を抱いたことはあった。

その時は手をつなぎながら、一緒に歩いて、なんとなく照れくさいけれど
彼女の前髪をかき分けるふりをしながら、丸いおでこにキスした
それで、じゃあ、またなって手を振って別れた。

そんなもんでした。
あの太陽が沈んだ時の二人でいた瞬間が
切り取った絵のように、今でも鮮明に思い出せる。

彼女は福祉系の学校を目指していて、
僕は相変わらず、親父と口論をしょっちゅうしてた。

公務員になるためには、法学部に行くのが一番だ
というのが、自分としては、理由として納得できない。

いったい自分はなにをやったらいいのだろう
それが決められない。

確かに小学生くらいまでは、僕はお巡りさんになります。
なんて、卒業文集に書いたりしたけれど、それは夢ではなくて
ただ、書くことがなかったから書いただけw

それで、恋愛も学業の方も煮え切らないまま・・・
あ、そうだ。3年になり、美術部の顧問先生にうちにも絵を描きに
こないか?と誘われ、本格的に絵を学ぶようになった。

なので、美術部と天文部兼任ではあった。
だからといって、絵を職業にしようとも思わなかったけれど・・・

学校の進路指導でも、なんかピンとくる答えは得られず
どんどん、卒業の時間が迫ってきたある日のこと
冬のバスターミナルで、彼女に告げられた。

あなたのことは、友達としてしか考えられないって
まあ、フラれたわけです。
当然です。僕は彼女の彼氏として、彼氏らしいことは一切していなかった。

ショックはショックでしたよ。
家の近くの後輩部員の部屋で、ワンカップのお酒を買ってきて
飲みながら、黙って音楽を聞かせてくれって、落ち込みました。

お酒は、高3になってから、親父のしまっておいてある洋酒を
ちびちび飲んでましたからw

結果、僕は大学受験はすべて沈没で、仙台の予備校行きが決まりました。
彼女も仙台の福祉系の学校に入学が決まりました。

以前に書いた記事で、彼女との仲は卒業で終わったとかいたのは、便宜上の話w

実は、その後にも話の続きがあります。
高校卒業後、予備校に入った僕の下宿の近くに
たまたま、彼女の住む寮もあったのです。

下宿には僕の悪友一人と、福島の二本松から来ている面白い奴がいて
3人で、福祉系の寮の女性たちを誘って、近くの公園で飲み会をやったのです。

その頃の僕のお酒の飲み方は、もう、無茶苦茶で
安いウィスキーを、ストレートでがぶ飲みw
そのまま、気持ち悪くなって、公園のベンチで寝てたら
酔った勢いの良く知らない女性が突然抱きついてきた。

男だったら、酔っぱらって、どうにかするところだったろうけれど
なにしろ、相手は元彼女の住んでいる寮生とわかっていたので
そちらの考えの方が勝っていた。

で、よせよ!とその子を払いのけた。

福祉系の寮生の中に、僕が小学生だった時に一緒に図書委員を
やっていた女性がいたのに気付いたのも、その飲み会だった。

で、ある日の事、自分の悪友と、その彼女が画策したらしく
Jちゃんがあなたに会いたいって言ってるよ、という電話が
下宿に入った。何日の何時にあの公園で待ってるとの話。

作り話かって?いや、マジであったことを書いてますから・・・

真っ暗な公園で僕はJちゃんと再会した。
久しぶり、元気でやってる?
うん、そっちこそ、と会話はあまり、はずまなかったけれど

わたし、あなたに謝ろうと思っていたと言われ
なにか、お別れのけじめをつけてほしい、という話。

相変わらずだなぁ、と思った。
こういう子だから好きだったんだ。

でも、どうしろっていうんだ?
僕は、ダメダメ浪人生だぞ。なにができるっていうんだ?

えーと、けじめ?
男としてのけじめかーって、超不器用に考えた。

じゃあさ、ほっぺたをひっぱたくってのはどう?
って聞くなんて、青いよなあ(汗

いいよ、あなたがそれで、気が済むならと言われ
初めてでしたよ。
大好きな女の子の柔らかいほっぺたを、パシンとやってしまった。

痛かったか?
うん、ちょっと・・・
俺の手の方が痛いくらいだったぞ
ぷっ、相変わらずだね。○○君は、って彼女は笑ってた。

やっぱり、かわいいなと思いつつ、最後は、また手を振って別れた。

そんな彼女は風の便りでその後、北海道に渡ったとか・・・
僕は横浜の大学の学生になり、下宿にいた自分に、ある日弟から電話があった。

○○さん(Jちゃんの本名)から封筒入りの手紙が来ているって、
ああ、しまっておいてくれと言ったけれど、僕はその手紙を読んでいない。

離れてしまった相手に対して、どうしろというのだ。
それが、子供の頃から転校を繰り返した僕の考え方だった。


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